木を見て、森を見ず2007.8)

盆栽作りが得意な人と森作りが得意な人は人種が違う 森の人が全体を見て活動し盆栽の人が細部に拘って活動 長所が短所に変わって行く 盆栽型の目と森型の目は時には一人の人間に求められる

 

「木を見て、森を見ず」という言葉がある。  物事の細かな部分を熱心に観るあまり、全体の様子が読めない状態をいっているものと思う。 盆栽を育てるような繊細さで、森を育てることはできない。 森の木の一本一本を、盆栽の様に細かく丁寧に手入れすることはできないし、する必要もない。 盆栽作りが得意な繊細な人と、森作りが得意な全体を見る人は、人種が違うのではないかと思う。

 

盆栽作りが得意な繊細な人はどうしても枝ぶりのひとつ一つが気になり、森全体にまで気が回らない。 一方、森作りが得意な全体を見る人は、森全体が立派に育っていれば、あまり細部のことは気にならないのだと思う。

私は盆栽や林業のことは全くの素人であり、実際の盆栽好き、森好きの人がどうなのかは知らない。 上記は人を観察、或いは評価するときの例えである。

 

会社で何人かの人と一緒に仕事をする場合、上記の2種類の人が存在する。 盆栽の人が森の人を観れば、何と大雑把で雑な仕事をする人だと映るかも知れない。 森の人から盆栽の人を観れば、何と細かなことばかりに拘る人だと映るかも知れない。 しかし、実際の仕事をこなして行くためには、両方のタイプの人が必要である。 例えば、一つのプロジェクトを推進する場合、森の人が全体を見て活動し、盆栽の人が細部に拘って活動することによって、全体としてバランスの取れた欠陥のないプロジェクトが達成できる。 森の人ばかりや、盆栽の人ばかりでは良いプロジェクトにはならない。 また、盆栽の人がプロジェクトの細部を詰め、森の人が全体を取りまとめる立場に立つと上手く行くが、その逆の役割を担うとぎくしゃくして、プロジェクトは上手く進まない。

 

残念なことにこの役割が逆になることがあるのは困ったことである。 私の職場でもこんなことがあった。 Aさんは一流大学を卒業し、記憶力抜群であった。 仕事はとても熱心で早朝出勤し、夜遅くまで働くことを厭わない。 細かな点にもよく気がつく盆栽型人間であった。 Aさんが一担当者の時は、立派な技術者として評価されたが、係長になり、課長になってくると、Aさんの盆栽人間的な長所が次第に短所に変わって行った。 例えば、部下が書類を提出しても、文章の一字一句にこだわるため、何度も何度も書き直しを命じられる。 確かにその書類だけを取れば、推敲されて立派になっているのだが、そのために費やす時間と部下達の仕事そのものに対する熱意の喪失は、到底文章の改良で補えるものではなくなってくる。 仕事の細部に拘るあまり、課長としての守備範囲を眺め、全体として最大の成果を挙げる努力が足りなくなってしまった。 地位が上がると共に、盆栽型から森型に推移していくことが求められたが、それが見えなかったのであろう。 本人にとっても部下達にとっても不幸であり、会社としても損失であった。

 

盆栽型の目と森型の目は、時には一人の人間に求められる。 或るときは、物事を全体として捉え、或るときはその細部を詳細に評価することが求められる。 人には性格があり、なかなか難しいが、そんな考え方が必要であることさえ理解していれば、大きく見誤ることはないと思う。